再考しなければならないこと
久しぶりの投稿。
「放射線被ばく CT検査でがんになる」 近藤誠 著
を図書館で借りて読んでいる。
動脈瘤が見つかり、年一回、造影剤を投与してCT検査をしていくことで
瘤の大きさをチェックしていくことを医師と話し、
先月にも撮影をして、瘤が大きくなっていないことを、3D画像を見て
確認して「安心」を手にしたつもりでいたのだが、、、。
たまたま読んだこの本によって「治療被ばく」を知り、被ばく線量の高い
血管造影剤を投与するCT検査を今後はやるべきではないと、思うに至る。
《さらに、この種の幾つかの本を読んで知識を取り入れて、考えを整理しようと思うのだが、患者側(自分)は医師の言葉を鵜呑みにしてしまい、言われるままに疑問を持たずに検査を受けることになる。検査リスクの知識がないことの問題》
病気もさることながら、検査によって「被ばくしている」という見えない現実がある。
一回の検査で、およそ2000ミリグレイの線量を浴びている。
それじゃ、どうればいい、、、とも思うが何もしないに越したことはない。笑
詩人の山尾三省は、胃癌で苦しみながらも、熟慮の末に延命治療をせず、その命を終えて逝ったことが本に書かれていたのを、ふと思い出す。
意思の力の方が、よほど大切だ。
考えたら切りがないが、急を要する痛みや症状がないのだから、のらりくらりとやっていこうと思うが、より一層「知識」が大切になる。
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休日。
朝、妻が仕事に行ったあとに朝食で使った食器を洗って、洗濯物と布団を干してから、ジャージに着替えて、1時間ほどウオーキングに外へ出る。
ワイヤレスイヤホーンをつけて、iphoneでアマゾンプライムミュージックでジャズを聴きながら、伏見通りを早歩き。公園を終点に往復して汗を流し、帰宅してから本の世界へと入る。
(最近、駅前のTSUTAYAがなくなった。映画も音楽もレンタルせずにインターネットで簡単に手に入る昨今。そう時間もかからずにDVDもCDもなくなってゆく。自分自身も、ここ一年は全くCDを買っていない。
通勤電車の中ではipadで新聞記事や電子書籍を見ているサラリーマンが多く、本を読んでいる人と比して半々ぐらいだろうか、、、
色々と思うことはあるけれど、簡単、便利であることで人は外に出かけなくなる。障害がなくなる。このことは面倒を厭う人間を育て、人の介在を遠ざける内向的な大人を作るのではないか)
今日は「周恩来秘録」上巻 高文謙 著 上村幸治 訳 に着手した。