タゴールを読む朝に

年末は土方巽とジュネの文章を読み、時を過ごした。

年明けて、電車を乗り継ぎ、身内を訪ねて挨拶をすませ、ようやく自分の時間を取り戻す。

而立書房は「ヘンリー・ソロー全日記」1851年 山口晃訳 を購入し、秋口から夜な夜な読んでいる。順を追って購入して本棚に並べようと思う。

今は、図書館で借りたタゴールの著作を読んでいる。タゴールの世界を自分なりに深めようと思う。

タゴールを読み始めたきっかけとしては、必要があって読んだ「死ぬ瞬間」E・キューブラー・ロス著 鈴木晶訳 の本に依る。セクションごとの冒頭に引用されたタゴールの言葉の中に静かな響きと啓示を感じたからで、騒がしい心を静めてくれるようで心地良く読んでいる。

ロスの本もまた興味深かった。

死の過程の諸段階として五つの項目に致命疾患の自覚を見て取っている。それは否認、怒り、取引、抑鬱、受容の順を辿る。

 

《 死の瞬間とは恐ろしいものでも苦痛に満ちたものでもなく、身体機能の穏やかな停止であることがわかるだろう。人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。広大な空に瞬く百万もの光りの中のひとつが、一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えていく。》

 

ゴダールの「イメージの本」を観た。

テレビを全く見なくなったけれど、中井久夫の特番があるのを知ったので録画をした。今夜あたり見ようと思う。

食事もそうだけれど、体内に取り入れるものとして

情報はさることながら、本や映画にも改めて気を配る年にしたい。

 

晴れの日に重たい西瓜を自転車で運ぶ

おじさんの記事を読み、世界について色々と思う。

どうしようもないなと。

個人的には、今現在ブルデューを読みながら

「悲惨」という状況は、多くの人はそうとは知らずに

無自覚のまま抱え込み、その苦痛を何らかのせいにしているように思えてならない。

無意識に育ち、肥え太る社会(他者)への恨み、辛み、嫉みが

暴力的な行動に転嫁していく。

まずもって「自分が望む」環境を手にすることは難しい。

学歴や仕事、家庭環境や人間関係、その他諸々のせい、など。

その視点こそが精神の荒廃だと思う。

生きがいというものの重要性を改めて思う。

時間を豊かにしていく装置は精神にある。

ここ最近、急に気が落ち込んだり、かと思えば訳もなく

元気潑溂になったりと、自分で「危ない」と思い、

本を読んで自分をオフにするよう気をつけている。笑

おじさんの記事には本当に助けられている。

今日は、今から西瓜を買いに、隣駅まで自転車で出かける。

Lサイズをひと玉。かみさんの大好物なのです。笑

 

 

落合川のほとりで

連休。

一昨日は、三鷹の古本屋で綺麗な状態の文庫に惹かれて7冊購入。

井筒俊彦、H.D.ソロー、ジャン・ジュネの文庫。

ピエール・ブルデュー著「世界の悲惨」は二冊目に入った。非常に興味深く読んでいる。橘木俊詔著「中年格差」も合わせ読んでおり、これからを思い色々と考えている。

 

2月に父が亡くなり、これまで何かとバタバタしていた。

癌など病についての本を幾つか読んだ。

長生きを諦めたときにこそ、質の高い時間が手に入る。そんな思いを持った。

癌を患い、可能な限りの延命治療に臨んだ父であったが道のりは厳しかった。

抗がん剤をはじめ、薬のための薬を服用し、肉体より先に精神が負けてしまった。

コロナもあって病院に入れず、闘病中の父には一度しか会えなかったが

病院のベッドに横たわる父とクリアボード越しに目を合わせたときに

これが最期になると明確に分かった。

もはや父の目に光りはなかった。

ステージ4の癌が見つかってから1年と2ヶ月の闘病の時。

その間、父の元に闘病に関する本を送り

延命治療に反対をしてきた。そのことに後悔はない。

短くとも質の高い時を過ごそう、そう伝えたかったが

これは父に向けながら、結局は自分に向けて言っていたように思う。

 

この連休は天気がよく、読書や散歩にうってつけ。笑

家からほど近い場所に流れる落合川に沿う道をよく歩く。

川にはコサギが数羽おり

急流部分の岩にじっとしながら長い嘴で小魚を器用に捕らえるのを

何回か見た。その様子に不思議と胸の内のくぐもりが無くなる。

じっとしながら待つのではなく、獲得すべく狙っている様が良い。

そんな鋭敏さをもって、ブルデューを読んでいる。笑

 

そんなこんなですが、そこそこ元気に暮らしています。

 

 

 

無のひとひら

緊急事態宣言後も相変わらずの満員電車に乗って通勤する日々。

最近は久しぶりに映画を観た。

ジャン=リュック・ゴダール監督「さらば、愛の言葉よ」

《大切なのは過去の感情や経験ではなく、静かなる粘り強さである》

映像のどこを切り取っても、光と影の深みと色彩の踊りがあり、語られる言葉は「本」そのもの。

《意識で目が曇った人間は世界を観られない》

この言葉は昔から幽艸堂でも聞いている。笑

《ロシア語で牢獄は“カメラ”》

ゴダールの気づきは言葉を視る角度を知らせてくれる。

《映像が現在を殺していく》

この言葉に反応し、思考する。

思索すること。想像力を持たない人間は現実に逃避する。見えない檻の中で、生涯ずっと。

一昨年、ついぞ観に行けなかったゴダール新作の「イメージの本」もやはり観たい。

「さらば、愛の言葉よ」を日を置いて三回観直してから「女は女である」も。

ゴダール熱が加速している今日この頃。

 

本は、「死にゆく者の孤独」ノルベルト・エリアス著を読んだ。白い本。笑

「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン著 中井久夫訳 も興味深く読んだ。

リルケの「マルテの手記」をかなり久しぶりに再読。歳を経たせいか、読後の感じ方が違っていた。物事の深淵に迫り、圧倒的な真面目さで芸術に取り組む姿勢が光るも、若き苦悩の本であった。《眼差し》について色々と考えた。

リルケとS・ヴェイユは自分にとって重要な人であることに変わりは無いが、リルケの本は手元から放して良いと思えた。

 

ばらつきのある思いなのだが、

・誇りを捨て、奴隷になりさがり、眠らされているままの人間たちが多すぎる。

・若き日の自分の「過ち」に油断してはならない。それは消せない記録だと思う。どう向き合うか。心の澱を拭う重要性についてノートにあれこれと書いている。

・決して暗く考えているわけではなく、「人生の終わり」を見つめている。どの本だったか、、、最近は「無のひとひら」という言葉に反応した。

今日は休日。

小雨が降っている。少し体を動かしたら本を読み、書き物をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

孤独のうちなる祈り

いつかは読もう。いつかは聴こう、または弾こう。そのうちに会おう。

そのタイミングは中々来ない。強いて言えば、来ることはないだろう。

それなりの危機感があり、所有物の整理を始めた。

自分なりに「時間」を見つめ直す行動が整理となった。

本棚に残す本と、手放す本。楽譜やCD。ギターやアンプなどの機材も。もう来てない洋服や靴など色々ある。

好んでよく聴いていた、キース・ジャレット・トリオ、スタンダードジャズの作品群も選別した。

そう言えば、

昨年にベースのゲイリー・ピーコックが亡くなり、もうトリオでのライブを観れないのか、、と思っていた矢先、キース・ジャレットが二度の脳卒中に倒れていたことをニュースで知った。キースは後遺症による麻痺でピアノを弾けなくなっているという。年齢を考えるとそうしたアクシデントがあってもおかしくはないと思いつつも、ショックを隠せない。ついこの間、チック・コリアまで亡くなってしまった。

寂しいなと思いつつ、一方で、そろそろいいかなと思う。

ジャズがどうとか、クラッシックがどうとか。そうした事柄に対して。

拘りを捨てようと決めた。

そして「時間」を見つめる最大のきっかけになったことがある。

年明けに父から連絡が入った。

腹痛に悩まされ、重い腰を上げて病院に行ったら、ステージ4の横行結腸癌であることが分かり、動脈やリンパにまで転移しているという。癌が大きく、手術は不可能との事だった。

残りの時間をどう過ごすか考えていると、父は淡々と話した。

父の言葉が少ない分だけ、胸中に山積している様々な思いを感じた。

返す言葉も無く黙っていると、なんか面白い本あったら送ってくれよ、というので手元にあった山尾三省の本をすぐに実家へ郵送した。

そうしたこともあって、「時間」への意識が強くなったのだろう。

気持ちのどこかで、それでもまだまだあると思っていた「時」の色彩が変わった。

それで整理へと至った。

好きな響きを持つ言葉がある。

《 表象(イマージュ)がおまえの心を輝やかせるなら、そのときの表象は、足下に整然たる眺めを展開する山頂となる。そしてそれは、神の贈り物である。》

「城砦2」サン=テグジュペリ 山崎庸一郞訳

楽器を置いて、真剣に「本」を手に取った。

例えば、井筒俊彦中井久夫の山を、1歩ずつ登り行こうと思う。

思念や精神を形作るのは、まずもって言葉であり、イマージュを立ち上げるのも知り得る言葉に因る。食事のように、言葉は大切だ。摂取する栄養であり、滋養である。

こうして書いていても、言葉に乏しく、用い方にも不自然さがつきまとう。

もどかしさの中でも奮闘しようと思う。

読書は、孤独のうちなる祈りとなる。

父の背を視て、また自分を視る。

程よき静けさの中で、覚悟へと至るために。

 

 

 

 

 

 

孤独のうちなる祈り

いつかは読もう。いつかは聴こう、または弾こう。そのうちに会おう。

そのタイミングは中々来ない。強いて言えば、来ることはないだろう。

それなりの危機感があり、所有物の整理を始めた。

自分なりに「時間」を見つめ直す行動が整理となった。

本棚に残す本と、手放す本。楽譜やCD。ギターやアンプなどの機材も。もう来てない洋服や靴など色々ある。

好んでよく聴いていた、キース・ジャレット・トリオ、スタンダードジャズの作品群も選別した。

そう言えば、

昨年にベースのゲイリー・ピーコックが亡くなり、もうトリオでのライブを観れないのか、、と思っていた矢先、キース・ジャレットが二度の脳卒中に倒れていたことをニュースで知った。キースは後遺症による麻痺でピアノを弾けなくなっているという。年齢を考えるとそうしたアクシデントがあってもおかしくはないと思いつつも、ショックを隠せない。ついこの間、チック・コリアまで亡くなってしまった。

寂しいなと思いつつ、一方で、そろそろいいかなと思う。

ジャズがどうとか、クラッシックがどうとか。そうした事柄に対して。

拘りをさっぱりと洗おう。

そして「時間」を見つめる最大のきっかけになったこと。

年明けに父から連絡が入った。

腹痛に悩まされ、重い腰を上げて病院に行ったら、ステージ4の横行結腸癌であることが分かり、動脈やリンパにまで転移しているという。癌が大きく、手術は不可能との事だった。

残りの時間をどう過ごすか考えていると、父は淡々と話した。

父の言葉が少ない分だけ、胸中に山積している様々な思いを感じた。

返す言葉も無く黙っていると、なんか面白い本あったら送ってくれよ、というので手元にあった山尾三省の本をすぐに実家へ郵送した。

そうしたこともあって、「時間」への意識が強くなったのだろう。

気持ちのどこかで、それでもまだまだあると思っていた「時」の色彩が変わった。

それで整理へと至った。

好きな響きを持つ言葉がある。

《 表象(イマージュ)がおまえの心を輝やかせるなら、そのときの表象は、足下に整然たる眺め展開する山頂となる。そしてそれは、神の贈り物である。》

「城砦2」サン=テグジュペリ 山崎庸一郞訳

楽器を置いて、真剣に「本」を手に取った。

例えば、井筒俊彦中井久夫の山を、1歩ずつ登り行こうと思う。

思念や精神を形作るのは、まずもって言葉であり、イマージュを立ち上げるのも知り得る言葉に因る。食事のように、言葉は大切だ。摂取する栄養であり、滋養である。

こうして書いていても、言葉に乏しく、用い方にも不自然さがつきまとう。

もどかしさの中でも奮闘しよう。

読書は、孤独のうちなる祈りとなる。

父の背を視て、また自分を視る。

程よき静けさの中で覚悟へと至る。

 

 

 

 

 

 

ジャズ

暑中お見舞い申し上げます。

夏休みを使って、家の障子の張り替えをし、玄関と室内のドアをメンテナンスをした。もう何年も使っていない、ジャズの教則本や譜面を買い取りに出して棚を整理。

 

ジャズの勉強はとても楽しかった。

今はたまにギターを弾く程度。

スタンダードや、チャーリー・パーカー、モンク、etc、、、

筋力と一緒で、演奏も、使っていないと指の衰えは凄まじい。笑

ジャズギタリストではピーター・バーンスタインがお気に入り。

今もよく聴いている。

https://youtu.be/K1c8P7WUc3U

 

過去に2年ほど、ジム・ホールの弟子で知られる井上智さんのレッスンを受けた。

https://youtu.be/Z70DgLHQI7w?t=2

自分一人では到底知り得ない、ジャズの知識や練習方法、作法などを教えてもらった。

中でも音楽を体に入れ込むという意味で、どんな曲でも暗譜するように言われ、ギターを弾きながら常に声を出して歌うように言われた。

(ニューヨークのセッションでは譜面を広げた時点でプレイヤーから相手にされないのが普通だという。差はあれど50~100曲程度は誰もが頭に入っている。セッションでは曲がコールされたらパッと弾けるのが前提条件。日本ではほとんどの人がステージに上がり、まず譜面を広げる)

例えばキース・ジャレットは弾きながらよく歌っているし(奇声もあるけど)、ジム・ホールもよく聴くと唸るような低い声が聞こえる。

歌うことは「より深く、音楽の地平に降りていくため」と井上さんは言っていた。

僕もこれらのことを心がけた。

思い出話ではあるけれど。笑

井上さんとの何気ない会話で、ニューヨークにはチャーリー・パーカーの曲を生涯研究の題材として取り組んでる人もいるし、ジャズは「自分で考える」音楽だと聞いて、自分なりの取り組み方を考えることができ、その『生涯研究』という響きにも好感を持てた。

 

自分なりの研究題材があることが素晴らしい。

今は「神話」を掘り下げている。ジョーゼフ・キャンベルにきっかけを得てジョイスを渡り、その世界を掘り下げています。笑

そんな夏を過ごしております。