孤独のうちなる祈り
いつかは読もう。いつかは聴こう、または弾こう。そのうちに会おう。
そのタイミングは中々来ない。強いて言えば、来ることはないだろう。
それなりの危機感があり、所有物の整理を始めた。
自分なりに「時間」を見つめ直す行動が整理となった。
本棚に残す本と、手放す本。楽譜やCD。ギターやアンプなどの機材も。もう来てない洋服や靴など色々ある。
好んでよく聴いていた、キース・ジャレット・トリオ、スタンダードジャズの作品群も選別した。
そう言えば、
昨年にベースのゲイリー・ピーコックが亡くなり、もうトリオでのライブを観れないのか、、と思っていた矢先、キース・ジャレットが二度の脳卒中に倒れていたことをニュースで知った。キースは後遺症による麻痺でピアノを弾けなくなっているという。年齢を考えるとそうしたアクシデントがあってもおかしくはないと思いつつも、ショックを隠せない。ついこの間、チック・コリアまで亡くなってしまった。
寂しいなと思いつつ、一方で、そろそろいいかなと思う。
ジャズがどうとか、クラッシックがどうとか。そうした事柄に対して。
拘りを捨てようと決めた。
そして「時間」を見つめる最大のきっかけになったことがある。
年明けに父から連絡が入った。
腹痛に悩まされ、重い腰を上げて病院に行ったら、ステージ4の横行結腸癌であることが分かり、動脈やリンパにまで転移しているという。癌が大きく、手術は不可能との事だった。
残りの時間をどう過ごすか考えていると、父は淡々と話した。
父の言葉が少ない分だけ、胸中に山積している様々な思いを感じた。
返す言葉も無く黙っていると、なんか面白い本あったら送ってくれよ、というので手元にあった山尾三省の本をすぐに実家へ郵送した。
そうしたこともあって、「時間」への意識が強くなったのだろう。
気持ちのどこかで、それでもまだまだあると思っていた「時」の色彩が変わった。
それで整理へと至った。
好きな響きを持つ言葉がある。
《 表象(イマージュ)がおまえの心を輝やかせるなら、そのときの表象は、足下に整然たる眺めを展開する山頂となる。そしてそれは、神の贈り物である。》
「城砦2」サン=テグジュペリ 山崎庸一郞訳
楽器を置いて、真剣に「本」を手に取った。
例えば、井筒俊彦や中井久夫の山を、1歩ずつ登り行こうと思う。
思念や精神を形作るのは、まずもって言葉であり、イマージュを立ち上げるのも知り得る言葉に因る。食事のように、言葉は大切だ。摂取する栄養であり、滋養である。
こうして書いていても、言葉に乏しく、用い方にも不自然さがつきまとう。
もどかしさの中でも奮闘しようと思う。
読書は、孤独のうちなる祈りとなる。
父の背を視て、また自分を視る。
程よき静けさの中で、覚悟へと至るために。