無のひとひら
緊急事態宣言後も相変わらずの満員電車に乗って通勤する日々。
最近は久しぶりに映画を観た。
ジャン=リュック・ゴダール監督「さらば、愛の言葉よ」
《大切なのは過去の感情や経験ではなく、静かなる粘り強さである》
映像のどこを切り取っても、光と影の深みと色彩の踊りがあり、語られる言葉は「本」そのもの。
《意識で目が曇った人間は世界を観られない》
この言葉は昔から幽艸堂でも聞いている。笑
《ロシア語で牢獄は“カメラ”》
ゴダールの気づきは言葉を視る角度を知らせてくれる。
《映像が現在を殺していく》
この言葉に反応し、思考する。
思索すること。想像力を持たない人間は現実に逃避する。見えない檻の中で、生涯ずっと。
一昨年、ついぞ観に行けなかったゴダール新作の「イメージの本」もやはり観たい。
「さらば、愛の言葉よ」を日を置いて三回観直してから「女は女である」も。
ゴダール熱が加速している今日この頃。
本は、「死にゆく者の孤独」ノルベルト・エリアス著を読んだ。白い本。笑
「心的外傷と回復」ジュディス・L・ハーマン著 中井久夫訳 も興味深く読んだ。
リルケの「マルテの手記」をかなり久しぶりに再読。歳を経たせいか、読後の感じ方が違っていた。物事の深淵に迫り、圧倒的な真面目さで芸術に取り組む姿勢が光るも、若き苦悩の本であった。《眼差し》について色々と考えた。
リルケとS・ヴェイユは自分にとって重要な人であることに変わりは無いが、リルケの本は手元から放して良いと思えた。
ばらつきのある思いなのだが、
・誇りを捨て、奴隷になりさがり、眠らされているままの人間たちが多すぎる。
・若き日の自分の「過ち」に油断してはならない。それは消せない記録だと思う。どう向き合うか。心の澱を拭う重要性についてノートにあれこれと書いている。
・決して暗く考えているわけではなく、「人生の終わり」を見つめている。どの本だったか、、、最近は「無のひとひら」という言葉に反応した。
今日は休日。
小雨が降っている。少し体を動かしたら本を読み、書き物をする。