小人の説

昨今の小説は全く読まない。

古いものを好んで読んでいる。

本当は小説なんか読まずに本当の物事を書いてある本を読むべきと思いつつも

古い映画を観るような気持ちで古い小説をつい手に取ってしまう。

若い頃は分厚い本を敬遠していたけれど

ここ最近は薄っぺらいのが物足りずに、手にズシリとくる重い本を好むようになった。

以前住んで通った吉祥寺の図書館に比べると

埼玉の図書館の蔵書の内容は今ひとつ、もう一つ、、乏しいことが歯痒いのだが

リクエストし、取り寄せてもらいなんとかやっている。

本を「待つ」ことも楽しくなった。

今になって、子供時代をやり直しているいるような感覚がある。

あの頃、足早に通り過ぎてしまった世界や景色に戻ってもう一度再考する。

途中で読むのを止めた本や、裁ち切れになっていた物事に

戻っていく日々に楽しみを持って過ごしている。

職場に行けば、同僚たちが

スポーツの勝敗や、風俗、競馬、パチンコ、子供の進路の話をしている。

みんなそれ相応の面貌をしている。

そうした大人たちが集まり社会を形成しているのが現実だ。

圧倒的に自分のいるべき場所を間違ったと思いながらも

その小さな世界の中で(職場)自分がどう対峙していくかを真剣に考えている

リュックには常に本を入れてあり、辛くなるとページを捲って時間を遡行する。

小人の説を、結局は小人が読む。

自虐的だがそう自認して朝から本の世界に過ごす。

そんな自分を見てなぜか妻は感心しているようだ。

「そんなにずっと読んでてよく眠くならないね」と。

妻に話かけられても気付かないことが増えている、、汗。

先週から、グノーシス主義に関する幾つかの著作を借りて読みはじめた。

岩波書店から過去に出ている4冊のナグ・ハマディ文書のものは購入して手元に置きたいなと思う。

そんな今日この頃を過ごしています。