鋭敏さと「予告された扉の言葉」について

『だから、言ったじゃないか。もう俺は知らないぜ』

おじさんのそんな言葉が夢に出てきて、朝早く起き出してパソコンを開いた。

 

《 類としての人心の驕慢と廃疾は現象界に転移した 荒廃し傷んだ自然は あらゆる天然の「暴虐」となって人間存在を襲う 老生は真昼の流星群の下 懐死する大地と怒る気象を もはや手遅れと 無情に眺めている 》 関心空間 2002/06/19 登録

 

見事なまでに「今の世界」が予告されている。

きちんと読んでいれば覚えているし、言葉は記憶から引き出せる。

僕は覚えている。

視える人には見え、言葉への置換が可能となる地平があり、愚鈍な者には到底適わない思索の領域がある。

「外部に置かれた記憶」である本に見聞きし、学ぶことが大切と思う。

 

様変わりした世界。

ウイルスという「暴虐」に人々は震撼し、閉じ込めを喰らう。

感染の蔓延を防ぐべく、後手に始まる都心に見る様々な対処。

3つの「密」を避けてとのこと。密閉。密集。密接。

それでも朝の通勤電車はいまだに満員御礼と言っても過言ではない。それぞれに生活があり、仕事があり、、、。社畜の皆様、お勤めご苦労様です、僕も「その一員」です。自虐ながら、毎日会社に通っている。

「お疲れ様です。今さらとは思いますが、この世界は本当に変だとは思いませんか?」冗談抜きで、つり革を握りながらスマホ片手にドラマを見ているサラリーマンに話しかける寸前にまで来ている。笑

 

ほとんどの人間は「本気」に考えないし、思わないのだ。

良い大学を出て、高収入の仕事に就き、互いにサイズの合った人と結婚をして自分なりの「完璧」を手にしようとも、自分の愚かさを見つめようとはしない、ましてや考えてなどいない。自省はない。

それだから「世界」で起きようとしている現象に対して、鋭敏に反応できない。

家や車、洋服に旅行、我が子の幸せ、、、ただただ内向きの願いに時を過ごす。例えば、年齢を気にして急な結婚をし、二人の子供を産んで離婚。理由は夫との経済的不一致。そんなシングルマザーとなった同級生が、かつて驚くほどいた。

口なんか出さないが「ねえ、久々に飲みに行かない?」と誘われて誰が行くというのか。「愚痴とセックスは他所でしてくれ」と思う。本当にそうした人が多いのだ。遠くを見つめられない人々が沢山いる。

 

それだから、天然の「暴虐」が啓示となって、人間を蹂躙するのだ。

 

おじさん。この世界は悪くなる一方ですね。

それでも、なんとか生きていこうと思います。

おじさんもお元気で。

 

ずっと本棚にあって手に取らなかった、マルケスの「百年の孤独」を読み終わろうとしている。読んでいて、バッハの平均律クラヴィーアを通して聴くのと同じような感覚があった。読みながらくる「疲れ」は物事を知らないことから来る。興が湧かない。バッハは音のインターヴァルなど、理論を知ると聴き方、聞こえ方が変わる。一気に面白くなる。マルケスを読んでいて、そんな似た感覚があった。

あれもこれも盛り込むといった文章の勢いに押されつつ、疲れを感じた。でも、物語はこうでいいのだなとも思った。書き進む圧倒的な強さを「百年の孤独」に視た。