小人の説

昨今の小説は全く読まない。

古いものを好んで読んでいる。

本当は小説なんか読まずに本当の物事を書いてある本を読むべきと思いつつも

古い映画を観るような気持ちで古い小説をつい手に取ってしまう。

若い頃は分厚い本を敬遠していたけれど

ここ最近は薄っぺらいのが物足りずに、手にズシリとくる重い本を好むようになった。

以前住んで通った吉祥寺の図書館に比べると

埼玉の図書館の蔵書の内容は今ひとつ、もう一つ、、乏しいことが歯痒いのだが

リクエストし、取り寄せてもらいなんとかやっている。

本を「待つ」ことも楽しくなった。

今になって、子供時代をやり直しているいるような感覚がある。

あの頃、足早に通り過ぎてしまった世界や景色に戻ってもう一度再考する。

途中で読むのを止めた本や、裁ち切れになっていた物事に

戻っていく日々に楽しみを持って過ごしている。

職場に行けば、同僚たちが

スポーツの勝敗や、風俗、競馬、パチンコ、子供の進路の話をしている。

みんなそれ相応の面貌をしている。

そうした大人たちが集まり社会を形成しているのが現実だ。

圧倒的に自分のいるべき場所を間違ったと思いながらも

その小さな世界の中で(職場)自分がどう対峙していくかを真剣に考えている

リュックには常に本を入れてあり、辛くなるとページを捲って時間を遡行する。

小人の説を、結局は小人が読む。

自虐的だがそう自認して朝から本の世界に過ごす。

そんな自分を見てなぜか妻は感心しているようだ。

「そんなにずっと読んでてよく眠くならないね」と。

妻に話かけられても気付かないことが増えている、、汗。

先週から、グノーシス主義に関する幾つかの著作を借りて読みはじめた。

岩波書店から過去に出ている4冊のナグ・ハマディ文書のものは購入して手元に置きたいなと思う。

そんな今日この頃を過ごしています。

 

 

2018 12/24 「風に揺れる」

良く晴れてはいるが朝から風の強い日。

自らの生涯研究の題材として、三十一年振りに0から翻訳して刊行された「聖書」聖書協会共同訳を先週購入した。

『変わらない言葉を変わりゆく世界に』との言葉が帯に記されている。

今読み進めている本はモンテーニュの「エセー」、サン=テグジュペリ「城砦」、小説に「カラマーゾフの兄弟」、カネッティの「眩暈」を再読している。

あと、手にしてはいたが中々読み進めることができずにいた、井筒俊彦「意識と本質」も読んでいる。

音楽は、Dufay、Bach、ECMレーベルのものばかりを聴いている。

映画はあまり観なくなった。

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10月に右腎臓の動脈瘤が見つかり、残された時間を考えつつ、死を見つめる機会を得た。他人からすれば大したことに思えぬことでも、病や疾患は自分の身に起きれば思わぬ風が吹き、旅の進路を狂わすものだと知った。

悩むところもあったが、医師と相談して動脈瘤の処置は先送りにしている。

やりたいことは色々ある。

が、生活のための日々の仕事を熟しながら

「良本」を読み、思索を纏める署術をしていこうと思い至る。小説の構想も幾つかある。

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《 思索を深め、経験を積み、清らかであればそれで良い。幽艸堂 》

この言葉と共に、大人のモデルとしてのエリック・ホッファーの生き方が自分の意識の内にある。

都会に住んで二十数年。

色々な人間に出会った。相応に学び、悪い人ばかりではないが、すっかり人間嫌いになってしまった。

《 問う人間、彼がまずもって探しあてるもの、それは深淵である 》「城砦1」より

自分にとっては、考えるほどに深く頷ける言葉だ。

ブックオフで拾うようにして百円で買った「エニアグラム」鈴木秀子著が思わぬ助けとなり、社会生活を生き抜く手立てとなっている。スーフィー派の知恵であるエニアグラムを、イスラム世界を行脚していたグルジェフが知って学び、西欧社会にもたらしたとされる。

「自己執着」などの囚われが、9つのタイプに分類され記されている。すばらしい知恵だ。

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人間は、風に揺れる艸のようなもの。

風によって根こそぎもっていかれないように、思念の地脈で栄養を整え、その根を強いものにしなければならない。

さて。創世記を読もう。